各務原市と岐阜市の手力雄神社、どちらに行けばいい?徹底比較

実は、岐阜県には同じ「手力雄神社」という名前の神社が2つ存在します。
1つは各務原市那加にあり、もう1つは岐阜市蔵前にあります。
名前は同じでも創建の由来や祭神、そして特色が大きく異なるこれらの神社について、詳しく解説していきます。
創建時期と歴史の違い
各務原市の手力雄神社 - 古墳時代から続く古社
各務原市那加の手力雄神社は、6世紀末期頃、現在の那加地区を支配していた豪族によって創建されたと伝えられています。
佐良木郷八ヶ村の山の中腹に磐座を祀ったのが始まりとされ、この磐座は現在も真幣明神として祀られています。
元々は真幣明神という名前の神社で、938年から956年に編纂された美濃国神名帳にも記載されています。
本殿裏山の東と西には古墳時代後期の古墳が存在しており、古代から神聖な場所として信仰されてきた証となっています。
神社の名称が「手力雄神社」として初めて記録に登場するのは、永禄10年(1567年)のことで、織田信長が寄進した宝物に記載されています。
壬申の乱で功績を挙げた村国氏・各務氏をはじめ、承久の乱以降は守護家の土岐氏、その家臣の薄田氏、佐良木氏など、時代を通じて諸豪族の崇敬を受けてきました。
岐阜市の手力雄神社 - 平安時代に創建された分祀社
岐阜市蔵前の手力雄神社は、貞観2年(860年)に創建されたと伝えられています。
各務原市の手力雄神社よりも約300年後の創建となります。
創建の由来については2つの説があります。
1つ目は、各務郡と厚見郡の有力者である各務吉雄と吉宗の手により、各務郡の各務氏の氏神(各務原市の手力雄神社)を厚見郡に分祀したという説です。
2つ目は、朝廷の宮中の祭神を分祀したもので、元々の祭神は伊勢神宮の天手力雄神であるという説です。
木曽川渡河の要所に位置していたため、中世には度々戦火に見舞われました。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの前哨戦である米野の戦いでは、境内一帯がほぼ焼失し、数百メートル離れた鳥居だけが残りました。
その後、元和年間(1615~1624年)に本殿・拝殿などが再建され、現在の社殿は平成20年(2008年)に新築されたものです。
祭神と御利益の違い
各務原市の手力雄神社の祭神
主祭神は天手力雄命で、地元では「てじからさん」の愛称で親しまれています。
天岩戸神話において、天照大御神を岩戸から引き出した力持ちの神様として知られており、開運と勝運の神として崇敬されています。
織田信長が美濃国攻めの際、手力雄神社を焼き討ちしようとしましたが、参道で落馬して動けなくなりました。
驚いた信長は「今後二度と神社には矢を向けない」と神前で誓い、その後稲葉山城の戦勝祈願を行って見事に成就したという伝説が残っています。
この逸話から、織田信長ゆかりの神社としても知られ、開運と勝運の御利益を求めて多くの参拝者が訪れます。
境内には信長にまつわる伝説や多くの文化財が残されています。
岐阜市の手力雄神社の祭神
岐阜市の手力雄神社も主祭神は天手力雄命で、天岩戸神話に登場する力の神です。
伊勢神宮内宮の相殿神であり、スポーツや勝負の神様として信仰されています。
各務原市の手力雄神社との違いとして、岐阜市の手力雄神社は長森13ヶ村の郷社として機能してきた一方、各務原市の手力雄神社は那加13ヶ村の郷社として、それぞれ異なる地域の信仰の中心となってきました。
最大の違い - 「手力の火祭」の有無

岐阜市の手力雄神社で開催される「手力の火祭」
岐阜市の手力雄神社の最大の特徴は、毎年4月第2土曜日に開催される「手力の火祭」です。
この祭りは300年以上の歴史を持ち、岐阜県重要無形民俗文化財に指定されている岐阜市を代表する伝統行事です。
火祭の起源は明らかではありませんが、江戸時代に盛んになり、明和年間(1764~1772年)に一度中絶した後、文化2年(1805年)に復興しました。
当初は陰暦9月14日に秋祭りとして執行されていましたが、昭和37年(1962年)から春祭りに変更され、4月に開催されるようになりました。
祭りの見どころは、境内に設けられた高さ20メートルの御神灯から次々と点灯される滝花火です。
激しい火の粉が降り注ぐ中、火薬を仕込んだ神輿を上半身裸の男たちが担いで乱舞する姿は圧巻で、爆竹の轟音と共に炎と音の勇壮な祭りが繰り広げられます。
また、毎年祭りに合わせて参道の鳥居にかけられる長さ約12.5メートル、最大直径3メートル、重さ約1トンという大しめ縄も見どころの1つです。
手筒花火や仕掛け花火が一斉に火を噴く山焼きなど、全てが見物客を圧倒させます。
8月第2日曜日には、観光用に長良川公園でも「手力の火祭・夏」が開催されています。河川敷という広い会場で、長良川と金華山を背景にした絶好のロケーションで迫力の火祭りを楽しむことができます。
各務原市の手力雄神社は火祭りを行わない
一方、各務原市の手力雄神社では火祭りは一切行われていません。
公式ホームページでも「●注意●当社は火祭りを行う神社ではありません」と明記されており、両社が近いことから混同されやすいため、注意喚起を行っています。
各務原市の手力雄神社は、静かな環境で参拝できる神社として、落ち着いた雰囲気が魅力です。
各務原市指定重要文化財(市重文)に指定されている本殿の柱に巻き付く約4メートルの龍の彫刻が見どころで、木彫りの龍にまつわる伝説も残されています。
境内の特徴と文化財の違い
各務原市の手力雄神社の見どころ
各務原市の手力雄神社の境内には、本殿裏山の東と西に古墳時代後期の横穴式石室墳があり、古代からこの地が神聖な場所であったことを示しています。
最大の見どころは、各務原市指定重要文化財に指定されている本殿の龍の彫刻です。
寄木でできた龍の彫刻が2体、虹梁の両端に龍頭、主屋とつながる海老虹梁には四肢と胴体が取り付けられており、立体的で圧巻の造りとなっています。
この龍には伝説があります。
毎朝神社を参拝していた老父が古井戸で龍と遭遇し、村で大騒ぎになりました。
本殿の木彫りの龍を見ると、龍の体が湿っており、玉の位置が日によって違うことに気付いた村人たちは、龍が夜な夜な出歩いて畑を荒らしていると考えました。
そこで龍の目に釘を打ち込んだところ、以後龍も足跡も見かけた人はいなくなったという物語が伝わっています。
鎮座地は各務原台地最西の水のつかない場所で、すぐ脇には木曽川が流れる水に関わりの深い地域です。
この龍神信仰は、長野県の戸隠神社の九頭龍社の影響を受けているとされています。
岐阜市の手力雄神社の見どころ
岐阜市の手力雄神社には、木造僧形神像や神酒壺などの市指定文化財があります。
平成20年(2008年)に新築された美しい社殿は、古式ゆかしい雰囲気を醸し出しています。
境内には一の鳥居から三の鳥居まであり、特に一の鳥居は大垣市赤坂にあるとされ、中山道が美濃赤坂から鵜沼まで舟航であった時代の名残を示しています。
三の鳥居は朱塗りで、道路の半分を占めており、この道路は手力雄神社の参道であり私道となっています。
木曽川渡河点として戦略上の要所に位置していたため、歴史的に重要な役割を果たしてきた神社です。
アクセスと所在地の違い
各務原市の手力雄神社
所在地: 岐阜県各務原市那加手力町4
アクセス方法:
- 名鉄各務原線 新加納駅から北へ徒歩約15分
- 名鉄各務原線 新那加駅から徒歩約20分
- JR高山本線 那加駅から徒歩約20分
- 岐阜バスコミュニティ岐阜各務原線「手力雄神社前」バス停下車すぐ
- 各務原市ふれあいバス那加線「山後町公民館前」バス停下車、徒歩3分
- 東海北陸自動車道 岐阜各務原ICから車で約5分
駐車場があり、イオンモール各務原の北へ車で5分という分かりやすい立地です。
岐阜市の手力雄神社
所在地: 岐阜県岐阜市蔵前6丁目8-22
アクセス方法:
- 名鉄各務原線 手力駅から南へ徒歩約5分
- 岐阜市コミュニティバス373番「美濃正」バス停から南へ徒歩約2分
- 同バス「長森南交番」バス停から東へ徒歩約5分
名鉄手力駅から近く、公共交通機関でのアクセスが便利です。
火祭りの際は専用駐車場はなく、周辺道路も混雑するため、公共交通機関の利用が推奨されます。
御朱印の違い
各務原市の手力雄神社の御朱印
各務原市の手力雄神社では、月替わりの御朱印をはじめ、多くの種類の御朱印が用意されています。
特別御朱印や信長御朱印など、織田信長ゆかりの神社ならではの御朱印も人気です。
御刻印守という革製ベルトの御朱印帳もあり、参拝の際に刻印機で織田木瓜の神紋を刻むことができます。
天下布武ならぬ「天下布刻」というユニークなステッカーも配布されています。
神職の方がいらっしゃる時は直接書いていただけますが、不在時は書き置きの御朱印をいただくことができます。
岐阜市の手力雄神社の御朱印
岐阜市の手力雄神社でも御朱印をいただくことができます。
火祭りで有名な神社ということもあり、炎や火をモチーフにしたデザインの御朱印が人気です。
祭礼期間中は特別な御朱印が授与されることもあり、多くの参拝者が訪れます。
参拝におすすめの時期

各務原市の手力雄神社
各務原市の手力雄神社は、年間を通じて静かに参拝できるのが魅力です。
初詣の時期は辰年などの干支に関連する年には混雑することもありますが、それ以外の時期は落ち着いて参拝できます。
毎年4月29日には例祭が行われ、宮当番地区の方々によって準備が整えられます。
この時期は幟や幕、注連縄などの装飾が見事で、境内の雰囲気が一層華やぎます。
織田信長ファンや歴史好きの方には、信長公にまつわる逸話や文化財を楽しめるため、特におすすめです。
本殿の龍の彫刻をゆっくり見学したい方は、平日の参拝が良いでしょう。
岐阜市の手力雄神社
岐阜市の手力雄神社を訪れるなら、毎年4月第2土曜日の手力の火祭がおすすめです。
300年以上続く伝統の火祭りを間近で見ることができる貴重な機会です。
火祭りは14時30分頃から町内ごとに長持の入場が始まり、19時頃から本格的な火の演出が始まります。
20時35分頃に手筒花火、21時頃に仕掛花火と山焼花火が行われ、21時10分頃に終了します。
会場は大変混雑するため、早めの到着が推奨されます。
前列で見たい場合は、長持の宮入りが完了する前に場所を確保する必要があります。
火の粉が広範囲に飛んでくるため、服装や荷物には十分注意が必要です。
8月第2日曜日に開催される「手力の火祭・夏」は、長良川河川敷という広い会場で開催されるため、より観覧しやすく、河川敷の堤防が観覧席となります。
本祭とは違った雰囲気で火祭りを楽しむことができます。
両社の関係性と注意点

各務原市の手力雄神社と岐阜市の手力雄神社は、距離が近いこともあり、しばしば混同されます。
両社とも公式ホームページや境内で、混同しないように呼びかけを行っています。
特に火祭りについては、岐阜市の手力雄神社でのみ開催され、各務原市の手力雄神社では一切行われていません。
火祭りを目的に訪れる場合は、必ず岐阜市蔵前の手力雄神社に向かってください。
歴史的には、岐阜市の手力雄神社が各務原市の手力雄神社から分祀されたという説があり、両社には深いつながりがあります。
しかし、それぞれが独自の歴史と特色を持つ別の神社として発展してきました。
各務原市の手力雄神社は那加13ヶ村の郷社、岐阜市の手力雄神社は長森13ヶ村の郷社として、それぞれ異なる地域の信仰の中心となってきた経緯があります。
どちらを訪れるべきか - 目的別おすすめ
火祭りを体験したい方
迫力ある火祭りを体験したい方は、迷わず岐阜市蔵前の手力雄神社を訪れてください。
4月第2土曜日の本祭、または8月第2日曜日の夏の火祭りがおすすめです。
(※夏の火祭は年により中止等もあるため、最新情報は公式サイトなどで要確認)
岐阜県重要無形民俗文化財に指定された伝統の祭りを間近で見ることができます。
静かに参拝したい方
落ち着いた雰囲気で参拝したい方、各務原市重要文化財の龍の彫刻をゆっくり見学したい方は、各務原市那加の手力雄神社がおすすめです。
古墳時代から続く歴史を感じながら、静寂な環境で心を落ち着けることができます。
織田信長ファンの方
織田信長にまつわる伝説や文化財を楽しみたい方は、各務原市那加の手力雄神社がおすすめです。
信長が戦勝祈願を行った神社として、信長ゆかりの宝物や逸話が多く残されています。信長御朱印も人気です。
歴史と文化を学びたい方
両社をそれぞれ訪れて、違いを比較するのもおすすめです。
古墳時代から続く各務原市の手力雄神社と、平安時代に分祀された岐阜市の手力雄神社、それぞれの歴史的背景や地域との関わりを学ぶことができます。
まとめ:各務原市と岐阜市の手力雄神社の違い

岐阜県にある2つの手力雄神社は、同じ名前でも創建の由来、歴史、特色が大きく異なります。
各務原市那加の手力雄神社は、6世紀末期頃から続く古社で、古墳時代の遺構も残る歴史ある神社です。
織田信長が戦勝祈願を行った神社として知られ、各務原市の重要文化財の龍の彫刻が見どころです。
静かな環境で参拝できるのが魅力で、火祭りは行われていません。
岐阜市蔵前の手力雄神社は、貞観2年(860年)に創建され、木曽川渡河の要所に位置する神社です。
最大の特徴は毎年4月第2土曜日に開催される「手力の火祭」で、300年以上続く伝統の祭りは岐阜県重要無形民俗文化財に指定されています。
炎と音の迫力ある祭りを体験できるのが魅力です。
両社は近いこともあり混同されやすいため、参拝の際は目的に応じて正しい神社を訪れるよう注意が必要です。
いずれにせよ、どちらの神社も、天手力雄命を主祭神とする開運・勝運の神社として、多くの参拝者に親しまれています。
それぞれの特色を理解した上で、目的に合った神社を訪れることで、より充実した参拝体験ができるでしょう。